憧れの人の真似をしてエロ動画を紹介していた頃
最初に松村雄策さんの文章を読んだのは、中学生の頃だった。
一九九〇年代初頭。香川のド田舎。近くにレコードショップなどあるわけがない。音楽に関する情報を得る手段は限られていた。
売上トップテンに入るような音楽ではない。昔の『COUNT DOWN TV』で言うところの、初登場四十六位ぐらいにランクインする音楽である。そういう音楽を知るには、深夜ラジオから流れてくる「音」を拾うか、音楽情報誌を片っ端から立ち読みして「文字」で知るしかなかった。
『WHAT’s IN?』、『BURRN!』、『PATi・PATi』、『CDでーた』、『SHOXX』、『FOOL’S MATE』、『GB』などなど。その名を書き並べるだけで、あの頃の本屋の音楽雑誌コーナーの光景と匂いが一気に蘇る。
『SHOXX』は紙の匂いというより、インクと黒い服とヘアスプレーが混ざったような匂いだった。『FOOL’S MATE』はもう少し暗く、『BURRN!』は少し重い。『rockin’on』は乾いていた。雑誌ごとの匂いの違いまで、まだ私の鼻の奥に残っている。
前置きが長くなった。
洋楽ロック雑誌『rockin’on』の巻末にあるCDレビューのコーナーに、松村さんはいた。一読して、すぐに衝撃を受けた。
だって、CDレビューなのに、作品のことをほとんど書いていないのだ。最近腰痛がひどいだの、おすすめのそばの食べ方だの、のっけから松村さんの私信のような話が淡々と語られる。レコード会社に怒られないのだろうかと、読んでいるこっちが心配になる。
残り文字数もわずかになったところで、ようやく作品の話に入る。しかも、冒頭の枕話を作品の魅力に絡めて、落語のようにうまくオチをつける。ありえない力技で落とすときもあれば、オチをつけないまま終わるときもあった。それもまた、しびれた。
アーティストの出自だの、前作が全英で何位だっただの、そういう情報を並べるレビューも確かに有益ではある。何も知らない田舎の中学生には、ありがたい文章でもあった。でも、松村さんの文章を読んでしまうと、それだけでは足りなくなった。絶対に学校では教えてくれない文章の書き方に、私は夢中になった。
影響を受けすぎて、運動会の反省文の書き出しに「ダチョウはライオンより速く走るらしい」とか、「運動会のバザーで人気第一位といえばかき氷である」とか、そんなことを書くようになった。もちろん、私のそれは単なるふざけた文章にしかならなかった。
松村さんの文章には、ふざけているように見えて、ちゃんと土台があった。音楽に関する比類なき知識と経験があり、そのうえで平気な顔をしてそばの話を始める。きちんとふざけるためには、基礎がいる。そのことを嫌というほど思い知らされた。
音楽の良し悪しなんてどうでもよかった。
こんなにも面白い文章を書ける人が薦める音楽を聴いてみたい。松村さんになら、何度騙されてもいい。ノートの切れ端にアルバム名をメモったものを握りしめ、片道一時間はかかる高松のレコード屋に、何度足を運んだことだろう。
私はそこでドアーズに出会い、キンクスにやられ、バッドフィンガーに涙し、ニール・ヤングに恋をした。
全部、松村さんが教えてくれた音楽だった。私は今もその音楽を毎日聴いている。
この人みたいに格好良く生きてみたい、と生き方そのものに憧れたのは中島らもさんだった。でも、文体そのものに強く惹かれたのは、松村さんが最初だったと思う。
時は流れ、三十代の私は東京にいた。
音楽雑誌の編集部ではない。ちょっと怪しいメルマガを配信する編集部にいた。しかも、そのメルマガだけでは経営が立ち行かなくなり、エロ動画紹介サイトに手を出すことになった。私は一日五本から十本のエロ動画の紹介文を書くノルマを背負わされた。
趣味でなら楽しめるエロ動画も、仕事で扱うと、それはもう苦痛でしかない。三か月ほど経ち、コンビニの入店音が女性の喘ぎ声に聴こえるぐらいまで、私は追い込まれていた。本当に気が狂う一歩手前のそのとき、私の脳裏に浮かんだのは、松村さんのことだった。